神の見えざる手 / God’s Invisible Hand

 松本豊かな命キリスト教会

作成者:ダビデ・ジャンカー

御言葉:エステル記4章

トピック:

メッセージ内容

メッセンジャー:ダビデさん
タイトル:「神の見えざる手」
聖書箇所:エステル記 4章

Message Info

Speaker: David Junker
Title: “God’s Invisible Hand”
Bible Passage: Esther 4

メッセージ原稿

エステル記 「神の見えざる手」(エステル4章)

私は、しばしば心を痛めるのです。どうして日本でキリストの教会は、あまり前進しないのか?奈帆と私が今月一回奉仕している観音寺聖書教会は、衰退し、牧師の事故の後、3人ほどの方がしか集まっていないのです。多く他の例を挙げることもできます。人が比較的に集まっている教会でも、日本のニーズと比較するとあまりにも足らないのです。神は、沈黙して、何もしていないのでしょうか?

エステル書の特徴の一つは「神」という言葉一回も書かれたない事です。。。強制的に連れて行かれたユダヤ人は、ペルシャで危険にさらされていました。ヒットラーのような悪党の強大な権力がユダヤ人を潰し滅ぼそうとしていたのです。助けは、あるのでしょうか?。。過去、神の民が困難に陥った時、例えばエジプトで、神は、すごい奇跡的な不思議を表したのです。しかし、エステル書では、神は、まったく存在しないかのように見えます。幻も、夢も、預言も、神への言及はまったく書いてないのです。それは著者の見落としなのでしょうか?それとも、それがポイントなのでしょうか?。。「人は見かけによらない」という諺があります。状況もそうです。状況も、外見とは、全く違った意外な一面があって、見た目だけで判断することはできないのです。エステルの時もそうでした。が、今の日本も「見かけによらない」のです。

1.エステル全体、神の主権。「神の見えざる手」が治めているのです。神が沈黙しているように感じても。。。エステル全体をぜひ読んで下さい。エステル全体で、神の見えざる摂理、恵み、救い、守りを教えているのです。。。エステル書は、偶然のただの重ね重ねではないのです。神が不在かのように見えますが、目に見えない神が人間の歴史を通して常に働かれているのです。でも、カレン·ジョベスは、こう書いています。神は「奇跡的な介入ではなく、まったく普通の出来事を通して」働いているのです。でも、確かに働いているのです。

エステルでは、ユダヤ人が救われるためには、偶然ではない、一連の「偶然」が起こるのです。背後に、神は、確かに働いているのです。例えば、エステル1章、アハシュロス王は、権力と富を6ヶ月間見せびらかしました。また、この酔っぱらいで自慢げな王は、ワシュティ王妃がその体の魅力を大臣達の前で見せびらかすように命じました。しかし、自尊心の強い王妃は、それを拒否し、王は、彼女を排除したのです。2章、王は、国際的な美女コンテストを開催し、優勝者は、ユダヤ人の魅力的な少女エステルでした。彼女は、代わりに王妃と成ったのです。2章後半、エステルのいとこモルデカイが耳にした王の暗殺計画の陰謀を暴きました。3章からでは、ハーマンは、マイノリティーであるユダヤ人を絶滅させる陰謀計画を立てますが、4章、神は、あまり敬虔な信者でもないモルデカイやエステルの決断や行動を用いました。5章から10章、二人を通して、神は、民イスラエルを確かに救い、益となるように全てを働かせたのです。滅びに向かうモルデカイや民の運命は、不思議に逆転し、救われ恵まれたのです。取るに足らないモルデカイやエステル二人を通して、神は、御自身の目的を達成したのです。偶然ではない、一連の「偶然」です。。。私たちは、エジプトの十の災いの一つの一つを見ると『それが神の御業だ』とすぐ分かるのです。しかし、アハシュロス王が酔っ払って自慢話を始めても、『すごい、神が働いている!』とは絶対思わないのです。でも、エステル書を通して、神は『誤解するな!』と言いっているのです。神の沈黙は、不在を意味しているのではなく、神が見えないのは、神は私たちを見捨てた訳ではないのです。背後にいる摂理の神がその民の守りと救いを確かに実現させているのです。

アハシュロス王ほどではないと思いますが、私たちも、外見にこだわり、気にするのです。が、エステルでは、神は、気にしないのです。エステルは、見た目にとらわれない主イエスを指し示しているのです。民衆が期待する救い主とは全く違うのです。イエスは、都エルサレムではなく、ベツレヘムで生まれ、大工の息子として田舎のナザレで育つのです。世の王子のようではなく、外見から見ても、尊敬されるどころか、バカにされる存在なのです。犯罪者の十字架につけられ、他人の墓で葬られるのです。。。でも、イエスも「見かけによらない」のです。予想に反したことをするのです。十字架上で私たちが受けるべき死を代わりに受けるのです。主は、復活し、天に登り、全ての国々全ての歴史を今確かに治めているのです。

神の啓示―聖書―がなければ、神がなさっている事―歴史、私達が体験している事は、正しく理解することは出来ないのです。権力者の大統領、首相、首席などが支配しているかのように見えても、実は究極的には支配していないのです。私とあなたのような一見取るに足らない人間の決断や出来事でさえも、その裏には、目に見えない、説明も妨害もできない、完全に治めている神とその力とが働いているのです。絶えない恵みの神が救い守り働いているのです。

1912年、医療宣教師ウィリアム・レスリーは、アフリカのコンゴの片隅の部族に伝道しに行きました。彼は、聖書を教え、教育の重要性をも教えました。が、17年後、彼はキリストのために影響を与えることができなかったと落胆し、アメリカに帰りました。帰国後9年立たない内に天に召されました。。。しかし、それから84年後の2010年、エリック・ラムゼイ率いるチームは、レスリー医師が伝道していた地域のジャングルに行きました。衝撃を受けました。目立たない、しかし、ダイヤモンドのように輝く、生み出す、生き生きとした教会のネットワークを発見したのです。それぞれの村には、ゴスペルクワイアがあり、自分たちの讃美歌を作っていたのです。彼らのヤンシー語には聖書は、なかったので、フランス語の聖書を使い、フランス語の上手な人が聖書を教えたのです。。。失敗で終わったと思われたものが、神の見えざる手によって、逆に輝いくものと成ったのです。神の驚くばかりの恵みです。

2.4章、私たちの責任。私たちは、立ち上がるのです。「神の見えざる手」が全てを治めているから。。。私たちは、主権の神の恵みに抱かれて、応答し、責任と勇気を持って動くのです。。。7−14、いとこモルデカイから自分の民の危機を聞いて、立ち上がるように勧められたエステルは、三日間断食しました。彼女は、居心地良い宮殿を失う覚悟をして、王の所に行き、民の救いを求める、と決断しました。4:16「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」。。。。なぜ死を覚悟しなければならないのでしょうか?4:11、誰も、王妃であっても、招待や許可無しでは、王の前に出ることは出来なかったのです。。。しかし、5:2、王の前に立ったエステルは、「好意を受けた」とあります。。。これも、摂理の神の見えざる手と不思議な恵みです。

そこで、エステルは、イスラエルの滅びの陰謀を図っているハーマンと王との宴会をお願いしました。。。3人の宴会を何回も開きましたが、エステルは、やっと話せたのです。7:3-6「王妃エステルは答えて言った。『私の民族にもいのちを与えてください。私も私の民族も、売られて、根絶(ねだ)や死にされ、殺害され、滅ぼされることになっています。。。その迫害する者、その敵は、この悪いハーマンです。』」。。。。4:16「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」エステルは、危険であっても、決断するのです。イスラエルの民も、9章で、立ち上がって、自分たちを守るのです。。。生ける神が余り見当たらない日本のような社会であっても、私とあなたは、神の見えない守りと救いの御手を覚え信じ喜ぶのです。そして、立ち上がるのです。あまり居心地良くなくても。。。エステルは「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と言いました。NHKの2010頃の大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬は「命を狙われるくらいの事をせんと、日本は変わらんぜよ」と言いました。私たちも、試練にあっても、立ち上がるのです。神の主権と恵みを心に抱いて。

私たちキリスト者は、日本の救いのために立ち上がらなければ成りません。しかし、原動力がカギです。すでに語られている神の主権と恵みです。。。神は、アブラハムにこう言いました。創世記18:18「あなたの子孫を通して世界の人々が祝福されます。」世界が祝福されないように、サタンや世間は、何回も何回も、エステル書のように、アブラハムの子孫を断ち切り滅ぼそうとしました。しかし、摂理の神の救いによって、神の民は守られました。。。やがて、アブラハムの最高の子孫―主イエス・キリストーが、世界を祝福するために天の宮殿から来られました。でも、人々は、キリストを断ち切り殺しました。しかし、その十字架の死は、私たち人類の救いと祝福と成りました。神は、世界の国々の人が今も祝福しています。日本人もそうです。信じてない方であっても、その恩恵博愛を受けています。。。4:16「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」とエステルは、言いました。ティム·ケラー牧師は、こう言いました。「真のより優れたエステルは、イエスである。イエスは、地上の宮殿を失う危険を冒すだけでなく、究極の天上の宮殿を実際失った。命を賭けるだけでなく、命を実際に捧げた。『滅びるなら滅びる』と言っただけでなく、『滅びるときは滅びる。私の民を救うために。』」十字架上で主イエス・キリストは、人類の救いのために命を真に捧げ死にました。主が真実な真の本当の救い主です。。。私たちが立ち上がる原動力は、この御方です。この救い、救い主を新たに信じ、勇ましく立ち上がるのです。この恵みを味わい、新たに感動し、キリストの栄光と人の救いのために、私とあなたは、自分を捧げるのです。居心地良くなくても、困でがあっても、苦戦しながらも。

私は、無理だ!と思う人はいるでしょう。モルデカイやエステルの二人も、特に、いわゆる『敬虔なクリスチャン』ではなかったようです。神は、民イスラエルにカナンに「帰りなさい」と命じたのに、二人は、帰らなかったのです。2章、エステルは、結婚する前に王と性的関係を持ち、神を信じない王と結婚したのです。しかし、人は、真実でなくても、神は、真実です。課題の多い弱い二人を用いて、主権と摂理を持って、神は、民を守り救ったのです。。。日本においても、私たちキリスト者には、課題は多いです。少数です。心身ともに疲れています。自らの弱さ、足りなさ、罪深さを実感します。でも、私とあなたのような者でも良いのです。神は、私たちの失敗や罪を赦し、私たちを用いてくださるのです。聖書を新たに読んで、神ご自身、その十字架、その守りと救いを新たに信じ仰ぎ見るのです。雄々しく強くイエス・キリストに従い、慈愛を示し、福音を伝えるのです。

『指輪物語』と言う冒険旅の小説で、危険で力強い敵が倒されなければならないのです。でも、偉大な魔法使い、王、戦士ではなく、小さな弱い、でも勇敢なホビットが用いられるのです。。。私も、あなたも、立ち上がるのです。謙虚に、自分の弱さと罪深さを覚えて。でも、生ける神に愛されていると覚えて、大胆に。

子供には、なかなか点つなぎ塗り絵は、どうなるか分かりません。大人は、見てすぐ分かっても。でも、子供も、全部繋げたら分かるのです。アハー体験をし、楽しいのです。私たちは、今の神の国の状況をなかなか見えません。「神様!何しているの?」と疑問に思うのです。でも、神様は、全部ご存知で、計画していて、私たちも、分かる時が来るのです。今は「神の見えざる手」が働いているのを信じ、恵みによって、立ち上がるのです。。。御子イエスが十字架上で父に見放され、沈黙を感じていた時こそ、史上最大の救いが実現されていたのです。沈黙を通して、神は、働いて、私たちを救われていたのです。今の沈黙の中も、神は、特別な事をしているのです。仰ぎ見ましょう。

エステル記 「神の見えざる手」(エステル4章)

エステル書の特徴の一つは「神」という言葉一回も書かれたない事です。

1.エステル全体、神の主権。「神の見えざる手」が治めているのです。

·神は「奇跡的な介入ではなく、まったく普通の出来事を通して」働いているのです。カレン·ジョベス

·エステルでは、ユダヤ人が救われるために、偶然ではない、一連の「偶然」が起こるのです。

·神の沈黙は、不在を意味しているのではなく、神が見えないのは、神は私たちを見捨てた訳ではないのです。

2.4章、私たちの責任。私たちは、立ち上がるのです。

・4:16「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」

・NHKの2010頃の大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬は「命を狙われるくらいの事をせんと、日本は変わらんぜよ」と言いました。

「イエスが真のより優れたエステルであるのです。イエスは、地上の宮殿を失う危険を冒すだけでなく、究極の天上の宮殿を実際失いました。命を賭けるだけでなく命を実に捧げました。『滅びるなら滅びる』と言っただけではなく、『滅びるときは滅びる。私の民を救うために。』と言ったのです。」ティム·ケラー

キリストが十字架上で父に見放され、沈黙を感じていた時こそ、史上最大の救いが実現されていたのです。沈黙を通して、神は、働いて、私たちを救われていたのです。