松本豊かな命キリスト教会
作成者:ダビデ・ジャンカー
御言葉:ヨハネ20:1-18
トピック:価値観、恐れ
水の上を歩くイエス様 // Jesus Walked On Water – 松本 豊かな命キリスト教会 // Matsumoto Abundant Life Christ Church
メッセージ内容
メッセンジャー ダビデ先生
タイトル 「鰯の頭も信心から⁉︎」
聖書箇所 ヨハネ20:1-18
Message Info
Speaker: David Junker
Title: “A Historical and Experiential Basis for Christianity”
Bible Passage: Jon. 20:1-18
メッセージ原稿
ヨハネ20:1―18
「鰯の頭も信心から」と言う諺はよく知られています。昔、節分の夜に鰯の頭をヒイラギの枝にさして門口に置き、悪い鬼を追い払うという風習があったようです。「鰯の頭のようにつまらないものでも、それを信仰する人にとっては、この上もなくありがたいものに思える」と言うことだそうです。。。。。でも、それで良いのでしょうか?私達には、本当の罪という問題があり、本当に放浪していて、本当に悩んでいるのです。ただ「ありがたい」話しでは困るのです。本当の救い、真実な安らぎ、真の解決が必要なのです。
聖書で言う『神様の安らぎ』は、事実あるのでしょうか?それとも、宗教や哲学のように、都合の良い話しなのでしょうか?ただの精神的心理的解決なのでしょうか?。。。ティモシーケラー牧師は、福音の確かさを裏付ける二つの事柄を取り上げます。先ず、”Intellectual Credibility”「知的信頼性」。で、“Experiential Satisfaction”「経験による満足」。一つ目は、キリスト教には、客観的事実である知的信頼性がある、と言っているのです。歴史性を強調しています。二つ目は、福音を経験し、それに満足することによってキリスト教は事実であり信頼できる、と言っているのです。。。。。都合良い話ではなく、本当に神による安らぎがあると確信出来るのです。
1.1−9、聖書は客観的事実であるから、本当に神に安らげるのです。聖書を裏付けるいろんな証拠がありますが、今日は、一番大事な証拠のキリストの復活を見ます。キリストの復活がキリスト教を裏付ける一番重要な証拠です。。。1−9が強調しているとても大事な事実は、先ずキリストの墓は、確かに空っぽであったことです。1節、マグダラのマリヤは、墓に行って、空っぽだと分かって、弟子達2人に、2節「「誰かが、主を墓から取り去りました」と言ったのです。ですから、3―9、弟子は、墓に行って、空っぽであることを確認しました。。。ナザレのイエスが十字架で死なれ、葬られた出来事は紛れもない事実です。歴史家は、それを疑問にしていません。でも、その上、墓も空っぽでした。クリスチャンでない一般の学者も『空の墓の事実』を認めています。しかし、それをどう説明するかによって分かれるのです。今全部を取り上げる時間がないです。しかし、心がオープンで、天地創造などの超自然的な出来事を排除しなければ、キリストが体を持って復活した事が一番納得出来る説明であることが分かります。天地宇宙を造られた神にとっては、朝飯前です。
復活の確かな証拠は、多くあるのです。が、復活の一番大事な証拠の一つは、この箇所の「女性の証言」です。この箇所の全体がそれを語っています。が、特に18節「マグダラのマリヤは、行って『私は主にお目にかかりました』と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子に告げた。」空っぽの墓の一番の証人は、女性であっただけではなく、復活されたイエスの初めの証人は、マグダラのマリヤの女性でした。
現代の社会では、女性に対する敬意などは、少しずつ上がっていると感じます。でも、当時のユダヤ社会での女性の立場は、全く違いました。当時、女性は、裁判なので、信頼できる証人として認められませんでした。。。歴史学者は、当時の決まりについてこう記録しています。裁判などで「女性の証言を、その気まぐれさと大胆さのために、認めない。」社会の一番低い立場にあったのです。当時、このような諺がありました。「子供が男性である親は幸せですが、子供が女性である親は不幸です。」また、ユダヤ人の男性は、こう祈ったようです。「宇宙の支配者である私たちの神よ、あなたは、私を女性として創らなかったことは私の幸いです。」。。当時の世界では、この箇所に出てくるマグダラのマリヤのような女性の証言は、例えば裁判では、使い物になりませんでした。実は、女性の証言を使うことは、教会にとっても逆効果でした。「恥の論証」とも言います。「女性の証しなんか信じる訳はない」と。。。でも、神は、聖書は、教会は、あえて『空の墓の第一発見者は、復活の第一証人は、女性である』と断言し主張しました。学者は、こう言うのです。『空の墓は、人間が作ったただ人間的な伝説なら、女性ではなく、男性を初めの証人としたでしょう。物語の大事な役目は、男性であったでしょう。でも、聖書で女性が主役です。この女性は、復活されたイエスの姿を見た本当の証人だったからです。』主イエスは、歴史上事実復活されたのです。。。で、神にある安らぎは、本当にあるのです。。。(ジャシュア:復活学び、平安)
三笠宮崇仁殿下がこう書きました。「私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ、聖書にぶつかった。初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。」。。聖書が記している神にある安らぎは、都合の良い話ではなく、神が本当にいるのです。死に打ち勝った方イエスに、本当に救いと安らぎがあるのです。
2.10―18、聖書は体験的満足を与えるから、本当に神に安らげるのです。主イエスは、マグダラのマリヤに、こう言いました。17節後半「私の父またあなたがたの父、私の神またあなたがたの神。」私たちが天の神を父とする福音の良き訪れを体験し初め、続けて体験すればするほど、心を潤すこの上もない満足が与えられるのです。客観的に確証もあります。が、福音を実感するとさらに真実性事実性が分かるのです。あなたも、本当に父なる神に安らげるのです。
私たちは、神の人格的な家族的な愛を体験できるのです。。。愛に溢れる人格的な神は、満ち足りています。16節「マリヤ」とマリヤは、名前で優しく主イエスに呼ばれるのです。柔和な愛です。崇高な神であるイエス・キリストが、以前悪霊に取りつかれた女性の名前を覚え、親切に語りかけたのです。「マリヤ!」なんとう言う愛でしょうか?人となられた生ける神の愛は、人格的な愛です。。。私とあなたの名前も、呼んでいるのです。「ダビデ!奈帆!」アウグスティヌスは、こう言いました。「神は私たち一人一人を、一人しかいないかのように、私たち一人一人を愛しておられる。」
イエスは不思議なことをマリアに言うのです。17節「私にすがりついてはいけません。」「あなたは、私を掴んで、絶対離さないつもだ。でも、マリア、あなたは、私を手放すなら、私をもう失わないことになる。『父の元に上がる』と、聖霊様が代わりに来る。聖霊が来ると、あなたは、私の臨在をより実感し、考えられないような親しい交わりを持てる。」アウグスティナスはこう書きました。「ああ主よ、私たちの目の前で天に上った。そして、悲しんで去って行った私達は、あなたを私たちの心の中に発見した。」復活の素晴らしい一つの賜物は、聖霊様を通しての主イエスとの人格的な親しさです。
17節後半「私の父またあなたがたの父、私の神またあなたがたの神。」代名詞に注意して欲しいです。「私…あなたがた…私…あなたがた。」主イエスは「私の父」や「私の神」で文を終わらせることが出来たのです。でも、あえて「私の父またあなたがたの父、私の神またあなたがたの神」と声かけたのです。違いがありながらも、主イエスの父であるように、天の神は、あなたと私の父です。人格的な愛です。家族愛です。。。私は、人間関係が下手です。多動症である私は、しゃべりすぎるし、クセがあるし、うざく思われるのです。でも、崇高な神は、こんなに卑しい私を親しく愛して下さるのです。「我が子よ」と言って、抱きしめられ、満たされるのです!
17節後半「私の父またあなたがたの父。」人格的な、でもまた家族的な愛でもあるのです。。。私自身は、父としての弱さ、罪深さ、足りなさを深く感じます。一人一人の子供の違った人格を認めないで一律にしつけしまったこと。聖書の学びを教会のために用意しながら、子供や妻のためには努力して用意しなかったこと。よく話しを聞かずに理解せずに子供をしかったこと。が、生ける神は、全く違うのです。。。私たちは、救われ、罪赦され、義と認められ、天国に行けることを喜びます。でも、もっとあるのです。恵によって、私たち一人一人は、神の子供なのです。これを深く思い巡らし味わうと、心に深い深い満足が与えられます。私たちは、イエス様の十字架の贖いによって、生ける神の子供です。「相続人」でもある、と聖書にあります。。。ステイーブン・チルダーズはこう書きました。「あなたは養子とされています。あなたが過去の人間関係の愛の欠如からいかに深く傷ついていたとしても、あなたは今、深く愛されています。あなたは神の子供として引き取られ、それまでは、父の独り子である御子イエスだけに保証されていたすべての権利と特権を与えられているのです(Iヨハネ3:1−2)。もう自分のことを霊的孤児のように感じなくてもよいのです。神様はあなたを単なる罪を赦免された犯罪者ではなく、実の娘や息子としてご覧になっているのです。あなたはすでに、御父の御臨在への入り口、あなたのすべての必要を満たしてくださるという約束、そして、あなたの益となる神の訓練を受ける特権を与えられているのです。」私とあなたのパパです!。。。聖書の歴史的事実を見て、聖書を確信出来るだけではないのです。天の父の個人的な家族愛に深く満足するので、聖書の真実性が分かり、『本当に神に憩える』と確信出来るのです。
17節後半「私の父またあなたがたの父!」神の子供と呼ばれる以上の名誉とリスペクトは無いのです。。。大手の会社の社長と会うには、アポを取らなければ面会できません。忙しいし、何人も雇っています。細かい業務はしません。細かいことを聞かれたら、邪魔者扱いされます。そのようなことは、部下に任せるのです。色んなより大事な事柄を考えているからです。でも、ある日、ドアにトントンという音が聞こえます。それは、前も聞いた音なので、自分の可愛い娘だとすぐ分かるのです。社長が、いや父親がドアに行って、開けるのです。「メアリー!」全ての仕事が止まるのです。少しお話して、遊ぶのです。なぜでしょうか?自分の愛しい娘だからです。。。天の神は、あなたのお父様です。人間のお父さんのように、忙しすぎないのです。あなたに関するどんなに小さなこといでも、宇宙をその勢いに任せて、あなたに注目し、深い深い関心持って聞いて下さるのです。深く愛され、深い満足を実感するのです。
「食わず嫌い」であってはならないです。聖書を調べ味もしないで、嫌いだと決め込むことは、間違いです。体験してみないと分からないものがあります。かじって、味わってみて下さい。福音は、美味しいですよ。真実で、事実です。。。私自身は、聖書を疑う理屈っぽいところがあるのです。聖書を歴史の観点から理論的に見たこともあります。でも、また、それ以上に、自分の内に福音に対する深い満足があるのです。私は、賞賛や愛に飢えるタイプです。で、生ける神の人格的な十字架の愛で潤して下さるのです。ですから、聖書や神の事実その真実さを確信出きます。。。素晴らしいですよ。あなたは、どうですか?味わってみませんか?
キリスト者は、ぜったい「鰯の頭も信心から」の都合良い話では困るのです。私達は、本当に罪の重荷があり、放浪していて、助けが必要なのです。でも、聖書や福音やキリストには、歴史的確かな裏付けがあるし、確かに満足できるのです。ぜひ、自分で調べて、個人的に味わって下さい。。。人間は、神と歩んでいたのに、神に背を向き、放浪し始めました。でも、生ける神は、私達を求めたのです。人と成り、十字架上で私たちの罪を背負い、代わりとなって裁かれました。深く愛されるのです。また、今日の箇所の通り、三日目に復活されました。。。安心して真の生ける父なる神に憩えるのです。この方に、この福音に、安らぐのです。
7 故郷 ヨハネ20:1―18 「鰯の頭も信心から!?」
“Intellectual Credibility”「知的信頼性」。
“Experiential Satisfaction”「経験による満足」。
1.1−9、聖書は客観的事実であるから、本当に神に安らげるのです。
『空の墓は、人間が作ったただ人間的な伝説なら、女性ではなく、男性を初めの証人としたでしょう。物語の大事な役目は、男性であったでしょう。でも、女性が主役です。この女性は、復活されたイエスの姿を見た本当の証人だったからです。』
「私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ、聖書にぶつかった。初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。」三笠宮崇仁殿下
2.10―18、聖書は体験的満足を与えるから、本当に神に安らげるのです。
16節「マリヤ」とマリヤは、名前で優しく主イエスに呼ばれるのです。
17節「私にすがりついてはいけません。」
17節後半、生ける神の人格的な家族的な愛でもあるのです。
「あなたは養子とされています。あなたが過去の人間関係の愛の欠如からいかに深く傷ついていたとしても、あなたは今、深く愛されています。あなたは神の子供として引き取られ、それまでは、父の独り子である御子イエスだけに保証されていたすべての権利と特権を与えられているのです(Iヨハネ3:1−2)。もう自分のことを霊的孤児のように感じなくてもよいのです。神様はあなたを単なる罪を赦免された犯罪者ではなく、実の娘や息子としてご覧になっているのです。あなたはすでに、御父の御臨在への入り口、あなたのすべての必要を満たしてくださるという約束、そして、あなたの益となる神の訓練を受ける特権を与えられているのです。」ステイーブン・チルダーズ


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